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計算検証 — 古典命例との照合

占いサイトが「計算は正確です」と言うだけなら簡単です。当サイトは、間違っていれば誰でも指摘できる形で証拠を公開します。 『滴天髄闡微』(清・任鉄樵注)に収録された命造や、歴史人物の通説として 流布する命造 17 件を、当サイトの四柱推命エンジンで 再計算し、全件をこの表で照合しています。

「当サイトの計算」列は、このページが表示されるたびにエンジンが その場で計算した値です(あらかじめ書いた文字列ではありません)。 同じ照合は開発工程の自動テストでも常時実行され、計算プログラムを 変更するたびに全件が再検証されます。

17 件中 17 件が一致

出生時刻の記録が残らない人物(4件)は年柱・月柱・日柱の三柱で照合しています。 照合できなかった例はその内容も含めて掲載します(現在 0 件)。

乾隆帝(清高宗・愛新覚羅弘暦)清代

一致

生年月日: 1711/09/25 子時

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説辛卯丁酉庚午丙子
当サイトの計算辛卯丁酉庚午丙子
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生年月日の典拠: 清皇室の公式記録(康熙五十年八月十三日子時生)に基づく通説。中国語版Wikipedia「乾隆帝」が1711年9月25日と明記(旧暦からの換算済み)。https://zh.wikipedia.org/wiki/乾隆帝

命造の典拠: 『滴天髄闡微』通神論・知命章に「高宗純皇帝御造」として収録(「天干庚辛丙丁、正配火煉秋金。地支子午卯酉、又配坎離震兌」)。維基文庫・ctext・華夏大易学社(cnddy.com/1562.html)等の底本で確認

注記: 書中で名指しされた数少ない命例の筆頭。記録上の生年月日時(1711-09-25子時)と命造が四柱とも完全一致することを暦計算で確認済み(1711-09-25は庚午日、辛卯年・白露後の丁酉月、庚日子時=丙子時)。

任鉄樵(『滴天髄闡微』注釈者本人)清代

一致

生年月日: 1773/06/07 辰時

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説癸巳戊午丙午壬辰
当サイトの計算癸巳戊午丙午壬辰
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生年月日の典拠: 『滴天髄闡微』官殺章の自注に「乾隆三十八年四月十八日辰時生」と自述。百度百科「任铁樵」が公暦1773年6月7日と換算(旧暦→グレゴリオ暦換算済み。当方の暦計算でも1773-06-07=丙午日・芒種後の戊午月で命造と整合)

命造の典拠: 『滴天髄闡微』通神論・官殺章に「鉄樵自造」として収録(維基文庫・算准網等で確認)。類似命造「癸丑戊午丙午壬辰」の官命と一字違いの対比例として自身の不遇を論じる有名な箇所

注記: 生年月日時は正史ではなく本人の自述(書中注記)が唯一の一次典拠。官職に就かなかった民間人のため公式記録での独立裏付けは無い。ただし旧暦→新暦換算と四柱の内部整合性は完全(癸巳年・4/18=6月7日丙午日・辰時=壬辰時)。

鉄保(董鄂鉄保、両江総督・書家)清代

一致

生年月日: 1752/02/28 未時

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説壬申壬寅丙子乙未
当サイトの計算壬申壬寅丙子乙未
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生年月日の典拠: 中国語版Wikipedia「铁保」が1752年2月28日未時生と明記(乾隆十七年生。時刻まで残るのは自撰年譜『梅庵年譜』系統の記録に由来とみられる)。https://zh.wikipedia.org/wiki/铁保

命造の典拠: 『滴天髄闡微』通神論・真神章に「鉄制軍造」として収録(ctext.org wiki chapter 703472 で本文確認:「殺逞財勢、嫩木逢生、最喜寅木真神当令…仕至封疆、声名赫奕」)

注記: 書中の呼称は「鉄制軍」(制軍=総督の尊称)のみで「鉄保」と明記はないが、鉄姓の総督で壬申年(1752)生・封疆大吏という記述が鉄保に一致し、記録上の生年月日時(1752-02-28未時)と四柱が完全一致(暦計算で丙子日、立春後の壬寅月、丙日未時=乙未時を確認)。同定はほぼ確実だが通説レベル。なお同一四柱が下篇・地位章では「銭尚書造」と別ラベルで再掲される版があり、任鉄樵のラベル付けの揺れとして注意(このため確信度は中とした)。

蔣介石(蒋中正)民国

一致

生年月日: 1887/10/31 午時

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説丁亥庚戌己巳庚午
当サイトの計算丁亥庚戌己巳庚午
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生年月日の典拠: 中華民国公式記録(光緒13年9月15日午時をグレゴリオ暦に換算)・Wikipedia「蔣中正」。旧暦からの換算値として広く公認

命造の典拠: 民国期以来の通説として命理学界に広く流布(「傷官佩印」の代表命例)。加拿大國際風水命理研究中心・国学一字堂ほか多数の命理文献が同一命造を掲載

注記: 検索で丁亥・庚戌・己巳・庚午(大運08己酉…)が複数ソースで一致確認。少数説として卯時説(huishitang)が存在するが午時が圧倒的通説。出典例: cafengshuinet.com/m/show_detail.php?id=1868, yzthome.com/tool-case-12790.htm

毛沢東清末生・中華人民共和国

一致

生年月日: 1893/12/26 辰時(午前8時頃)

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説癸巳甲子丁酉甲辰
当サイトの計算癸巳甲子丁酉甲辰
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生年月日の典拠: 『韶山四修族譜』「清光緒十九年十一月十九辰時生」。秘書葉子龍らが暦を照合し12月26日と確定(中国共産党公式誕生日)

命造の典拠: 通説として広く流布(族譜の辰時記載に基づく)。zhihu.com/p/48574072、農暦網ほか多数が同一命造

注記: 冬至(12/21)後のため子月。族譜という一次資料に時辰まで記載がある点で近代人物中もっとも典拠が強い部類。出典例: zhuanlan.zhihu.com/p/48574072, m.nongli.com/bz/1125.html

袁世凱清末民初(中華民国初代大総統)

一致

生年月日: 1859/09/16 未時

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説己未癸酉丁巳丁未
当サイトの計算己未癸酉丁巳丁未
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生年月日の典拠: Wikipedia「袁世凱」(咸豊9年8月20日の換算)

命造の典拠: 徐樂吾が評註を残す命造(『古今名人命鑑』系)。「八字純陰」「食神制殺」の論評が民国期から流布

注記: 検索で己未・癸酉・丁巳・丁未が徐樂吾評とともに複数ソース一致。出典例: yidianzixun.com/article/0LUFoJwC, suanzhun.net/mingrenbazi/1788.html

愛新覚羅溥儀(宣統帝)清(最後の皇帝)・満洲国

一致

生年月日: 1906/02/07 午時(12時30分と伝える資料あり)

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説丙午庚寅壬午丙午
当サイトの計算丙午庚寅壬午丙午
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生年月日の典拠: 溥儀自伝『我的前半生』(光緒32年正月14日)・Wikipedia。生年月日は公式記録で確実

命造の典拠: 通説として広く流布(従財格の代表命例。日元壬水無根・寅午の火多)

注記: 年月日柱は確実だが、午時(時柱丙午)の一次典拠は自伝に明記がなく命理界の通行説。一部に壬寅時説もある。出典例: pipa8.com/bazi/204, suanzhun.net/mingrenbazi/1690.html

孫文(孫中山)清末民初(中華民国国父)

一致

生年月日: 1866/11/12 寅時

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説丙寅己亥辛卯庚寅
当サイトの計算丙寅己亥辛卯庚寅
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生年月日の典拠: Wikipedia「孫中山」(同治5年10月初6日)。広東の国民党中央党部が元配夫人盧慕貞に照会し、訂婚時に交換した八字から確認したとされる記録

命造の典拠: 国民党照会由来の八字として通説流布。ただし韋千里は別説(1865-11-23生、乙丑・丁亥・丁酉・壬寅)を採用しており命理界で二説並立

注記: 公式生年月日1866-11-12は確実だが、時辰は寅時・卯時の争いがあり、韋千里系は生年自体を1年ずらす。「通説命造」としては丙寅・己亥・辛卯・庚寅を採録。出典例: blog.udn.com/xdccudn/119472405, guoyi360.com/mrbz/rd/9294.html

梁啓超清末民初

一致

生年月日: 1873/02/23 巳時

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説癸酉甲寅丙午癸巳
当サイトの計算癸酉甲寅丙午癸巳
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生年月日の典拠: Wikipedia「梁啓超」(同治12年正月26日の換算)。本人が生前複数回算命した逸話が伝わり、時辰含め民国期から流布

命造の典拠: 通説として広く流布(「木火通明、文章蓋世」の評とともに民国期命理書・現代文献多数)

注記: 癸酉・甲寅・丙午・癸巳が複数ソース一致。出典例: guoyi360.com/mrbz/ls/6107.html, sohu.com/a/426559357_100084723

杜月笙民国(上海青幇領袖)

一致

生年月日: 1888/08/22 午時

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説戊子庚申乙丑壬午
当サイトの計算戊子庚申乙丑壬午
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生年月日の典拠: Wikipedia「杜月笙」(光緒14年7月15日の換算)

命造の典拠: 韋千里『千里命稿』(民国期)。「乙木生於申月、戊庚壬天干に透る」の評。正官格・官星佩印の命例として著名

注記: 民国期命理書に書名レベルで典拠が特定できる好例。出典例: suanzhun.net/mingrenbazi/1737.html, zhuanlan.zhihu.com/p/1986866088844231832

康有為清末

一致

生年月日: 1858/03/19 深夜(夜子時)

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説戊午乙卯壬子庚子
当サイトの計算戊午乙卯壬子庚子
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生年月日の典拠: 康有為自編年譜「咸豊八年二月初五日子時生」・Wikipedia「康有為」

命造の典拠: 通説として広く流布(「水木真傷官」「傷官生財」の評)

注記: 通説命造は夜子時を翌日に繰り上げて立柱する流派(3/20 子時扱い)に基づく。当サイトの計算もその扱いに合わせて 3/20 0時 で照合している。夜子時を当日扱いとする流派では日柱辛亥・時柱戊子となり、流派差がそのまま現れる好例。

汪精衛(汪兆銘)民国

一致

生年月日: 1883/05/04 時刻不明

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説癸未丙辰戊申不明
当サイトの計算癸未丙辰戊申—(時刻不明)
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生年月日の典拠: Wikipedia「汪兆銘」(癸未年3月28日の換算)。生年月日自体は公式記録で確実

命造の典拠: 徐樂吾『古今名人命鑑』(民国23年上海自刊、約300命造収録)に汪精衛・段祺瑞・黎元洪・徐世昌ら民国要人の命造が収録されると紹介される。年月日柱の癸未・丙辰・戊申は諸資料で一致

注記: confidence低の理由: 時柱が資料により甲寅(寅時)と丁巳(巳時、10時10分)に割れており、どちらが『古今名人命鑑』原本記載かをWeb上では確定できなかったため時柱は「不明」とした。出典例: suanzhun.net/mingrenbazi/1825.html, pipa8.com/bazi/610, books.com.tw/products/0010680897(命鑑書誌)

夏目漱石(夏目金之助)慶応(幕末)〜大正

一致

生年月日: 1867/02/09 申時(午後4時頃・申の刻)

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説丁卯壬寅庚申甲申
当サイトの計算丁卯壬寅庚申甲申
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生年月日の典拠: Wikipedia「夏目漱石」、新宿区立漱石山房記念館、東北大学附属図書館(漱石文庫)。旧暦慶応3年1月5日をグレゴリオ暦1867年2月9日に換算(換算は各典拠に明記済み)

命造の典拠: 「庚申の日・申の刻生まれ」は伝記的事実として漱石山房記念館・東北大学附属図書館等で流布(庚申日生まれの厄除けに『金』の字を入れ「金之助」と命名した逸話)。四柱全体は日本の推命・算命学書で頻繁に引用される定番命例(通説として広く流布)

注記: 日柱庚申は自前計算(JDNアンカー検証済み)とも一致。生時(申の刻)まで伝承が残る稀な明治期以前の人物で、時柱甲申は庚日申時の機械的換算。なお一部PDF資料(iic-hq.co.jp掲載論文)は日柱を庚辰とするが、これは旧暦1月5日を誤って換算したものとみられ、2月9日の正しい日柱は庚申

渋沢栄一天保(江戸後期)〜昭和

一致

生年月日: 1840/03/16 時刻不明

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説庚子己卯甲戌不明
当サイトの計算庚子己卯甲戌—(時刻不明)
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生年月日の典拠: Wikipedia「渋沢栄一」、渋沢栄一記念財団。旧暦天保11年2月13日をグレゴリオ暦1840年3月16日に換算(換算済みであることは各典拠に明記)

命造の典拠: happy-fortune.com(四柱推命鑑定記事、日柱甲戌・日座中殺を明記、生時は資料なしと明記)、BEST TIMES/歴史人連載「歴史上の人物を四柱推命で鑑定!第72回」。通説として複数の鑑定記事に流布

注記: 日柱甲戌は自前計算と一致。年柱庚子・月柱己卯は生年月日からの機械的換算で諸鑑定と整合(甲日主で卯月=帝旺・蔵干乙=劫財、BEST TIMES記事の「劫財・帝旺」記述とも整合)。出生時刻は記録がなく時柱不明(happy-fortune記事は丙寅と推測するが著者自身が推測と明記しているため採用せず)

松下幸之助明治〜平成

一致

生年月日: 1894/11/27 巳時(午前10時)

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説甲午乙亥癸酉丁巳
当サイトの計算甲午乙亥癸酉丁巳
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生年月日の典拠: Wikipedia「松下幸之助」、パナソニック社史(明治27年11月27日、和歌山県生まれ)。新暦(グレゴリオ暦)生まれのため換算不要

命造の典拠: 四柱推命鑑定師・宮崎雅則のブログ(ameblo.jp/1215miyazaki)に「明治27年11月27日午前10時生まれ」として甲午・乙亥・癸酉・丁巳の命式を明記。経営者命例として推命界隈で流布

注記: 年月日柱は自前計算と完全一致(癸酉日を検証済み)。丁巳時は癸日巳時の正しい換算。ただし「午前10時生まれ」の一次典拠(公式記録)は未確認のため、時柱を含む確信度は中とした

田中角栄大正〜平成

一致

生年月日: 1918/05/04 時刻不明

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説戊午丙辰辛亥不明
当サイトの計算戊午丙辰辛亥—(時刻不明)
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生年月日の典拠: Wikipedia「田中角栄」(大正7年5月4日、新潟県刈羽郡二田村生まれ)。新暦生まれのため換算不要

命造の典拠: 四柱推命の運勢鑑定所(kanteisho.com/various/page7.html)の田中角栄鑑定記事(財官印三宝の貴命、日柱沐浴食神、55歳首相就任=比肩建禄期などの記述)。政治家命例として鑑定記事に流布

注記: 日柱辛亥は自前計算で確認。年柱戊午・月柱丙辰は生年月日からの機械的換算(5月4日は立夏前後の境界だが1918年の立夏は5月6日頃のため辰月で確定)。kanteisho.comは検索スニペットで内容確認したが、ページ直接取得は接続拒否で失敗したため確信度は中。出生時刻の記録は確認できず時柱不明

三島由紀夫(平岡公威)大正〜昭和

一致

生年月日: 1925/01/14 時刻不明

 年柱月柱日柱時柱
古典・通説甲子丁丑戊戌不明
当サイトの計算甲子丁丑戊戌—(時刻不明)
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生年月日の典拠: Wikipedia「三島由紀夫」(大正14年1月14日、東京市四谷区生まれ)。新暦生まれのため換算不要

命造の典拠: ameblo「四柱推命日記」(lumiere22222)の三島由紀夫命式記事に年柱甲子・月柱丁丑・日柱戊戌を明記。戊戌魁罡日生まれの著名人例として複数の推命解説サイトで流布

注記: 日柱戊戌は自前計算と一致。1月14日生まれのため立春前で年柱は前年の甲子(1924年干支)、丑月で丁丑月(甲己年の丑月=丁丑)と機械的換算どおり。伝記に午後9時頃出生の記述があり、その場合の時柱は癸亥となるが(検索結果の一部鑑定が採用)、確認したブログ記事本文には時柱記載がないため「不明」とし、癸亥は異説として記録

照合の方法と、正直な限界

  • 命造の典拠には、『滴天髄闡微』のように古典に収録されたものと、 命理研究で通説として広く流布しているものの2種類があります。 各例の「出典と注記」で区別して明記しています。
  • 当サイトの節入り(節気)データは 1920〜2060 年を精密に収録しており、 それ以前の日付は近似値で計算します。節入りの前後数日以外は月柱に影響しません (本表の全例で月柱は一致しています)。
  • 深夜(夜子時)生まれは、日柱を当日とする流派と翌日に繰り上げる流派があります。 康有為の例はこの流派差がそのまま現れる例として注記付きで掲載しています。
  • 誤りを見つけられた方はお問い合わせからご指摘ください。確認のうえ、この表とプログラムを修正します。

関連: 正しさ憲章編集方針このエンジンで命式を計算する(天命の杖)